2008年05月01日

選択している

「○○しなければならない」という考え方はやめる。

自分の人生は常に選択できる。すべて自分で選択した結果だ。
不可避な問題は当然ある。

しかし、それに対してどうアプローチするかは選択できる。
その権利を有しているのは自分だけだ。

やるならやる。やらないならならない。
現状を変えるか、認識を変えるか。
何もせずに「やらされて」いたら時間がもったいない。

「○○しなければならない」ではなく、「○○することを選択した」と考えるべきだ。

俺は自ら選択して、このようにしている訳です。

posted by kohey at 23:44| Comment(0) | TrackBack(0) | コミュニケーション | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2008年04月10日

最後まで残るのはクリエイティブだけ

ウェブにまつわるコミュニケーション活動なんて、
フレームさえあれば、代替えはいくらでも可能。

要は全部を自動化出来るってこと。

その中で最後まで残るのは、クリエイティブだけ。

デザインとか、そーいう意味ではなく。
全部を自動化出来るってこと自体を
どう捉えることが出来るかってこと。だ。



posted by kohey at 12:51| Comment(0) | TrackBack(0) | コミュニケーション | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2008年04月05日

ブランドとはなんぞや

ブランドとはなんぞや。ブランドサイトとはなんぞや。

ブランドとは、差異である、と思った。相対的な、差異。つまり、絶対的なモノでは、ない。

コーヒーには差異がないが、スターバックスとドトールには差異がある。キリマンジャロとブルーマウンテンには差異がある。

ブランドサイトとは、差異を明確に伝達するツールである。それは売り上げではなく、ブランド構築に寄与するためにこそ、ある。のでは。もちろん。ブランド構築は結果的に売り上げの向上、利益確保の効率化につながるが。

であるとするならば、重要なのは、それが、どれと何を比較した場合の差異なのか、だ。比較対象によって、その差異は変わってくる。

シャネルはどれと何を比較した差異によってブランドたりえるのか。
ユニクロはどれと何を比較した差異によってブランドたりえるのか。

アップルはどれと何を比較した差異によってブランドたりえるのか。
グーグルはどれと何を比較した差異によってブランドたりえるのか。

あとはその差異に共感や愛着をもってもらう、ということだ。それもブランドサイトの役割として、十分に考えられる。な。

うーん。
posted by kohey at 11:52| Comment(0) | TrackBack(0) | コミュニケーション | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2008年04月01日

買収

社長から、本日会社がマイクロソフトに買収されることになったとメールを受けました。

googleに行こうと思います。

posted by kohey at 18:40| Comment(0) | TrackBack(0) | コミュニケーション | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

育ててもらっているんだなぁ

入社して初めて携わったクライアントの担当者さんに昨日、たまたま久々にオフィスでお会いした。

「最近随分良い感じになりましたねー。昔はお兄ちゃんみたいだったのに。」と褒めてもらえた。

この人に言ってもらえるなんて本当に嬉しい。入社当初、なんも分からないまま実戦投入され、つっこまれまくった担当者さんだけに。

俺は、お客さんにも育ててもらっているんだなーと実感。

やたら大変だったけど。
今も大変だけど。
つらいことも多いけど。
ヘンな人も多いけど。

そういう全てに、育ててもらっているんだなぁ。

みつを。



posted by kohey at 14:40| Comment(0) | TrackBack(0) | コミュニケーション | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2008年03月03日

ポストイットのすごいところ

ポストイットのすごいところはどこか?という話がある。

ポストイットのすごいところ、それははがせるところだ。

貼れるだけならたいしたことはない。貼った後、はがせることがポストイットを発明たらしめた。いつでもどこでもはがせるからこそ、いつでもどこでも貼れる。一度貼ったらキレイにはがせなかったら、いつでもどこでも貼ることは出来ない。

ポストイットの、ノリの絶妙具合がスゴイ。くっつくのにすぐはがれる。よく考えたらすごくないか、コレ。まじで。

機能の裏側を確保することで自由を担保する、とでもいうべきか。非可逆だったものを可逆にするってのは、それだけで価値になるということ、か。
posted by kohey at 20:55| Comment(0) | TrackBack(0) | コミュニケーション | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2008年02月21日

卒業写真

停車中のトラックから、ユーミンの「卒業写真」が。
そういえばそういう時期だった。

運転手にも色々あるんだろうなぁー。

人が、生きてるなー。
posted by kohey at 10:14| Comment(0) | TrackBack(0) | コミュニケーション | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2008年02月19日

インアウト

とにかく「溜めない」こと。2分で考えてアウトプットを出す。必要があればそれを随時アップデートしていく。

インプットによって、認識は変化する。
アウトプットによってしか、現実は変化しない。
posted by kohey at 01:53| Comment(0) | TrackBack(0) | コミュニケーション | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2つの解決法

問題があるとしたら、解決法は2つ。

現実を変えるか。認識を変えるか。

posted by kohey at 01:48| Comment(0) | TrackBack(0) | コミュニケーション | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2008年02月07日

やられた

外資系ヤングエグゼクティブにやられた。

ここまで違うかーとかなりへこむ。
歳は1コしか違わないのに、レベルは30くらい違うな。
やたらしゃべるし。なんか顔むかつくし。

自分の仕事ってある程度自信もってたし、
ある程度評価してもらってたけど、
グローバル企業は違うぜよ、実際。
むかつくけど、すげーよ、正直。

自分の強みって何なんだろうか…とか路頭に迷いそう。

オヤジ、もう一杯くれ。

おまえさん、飲み過ぎだよ、もうやめときな。

そうだな、電車なくなるしな。かえろ。

まぁ、俺なんてまだまだ相当な小物だなーと実感。
本当にがんばらないかんっつーことだわ。
posted by kohey at 23:59| Comment(0) | TrackBack(0) | コミュニケーション | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2008年01月29日

何かを得るための最良の方法

何かを得る最良の方法は、何かをやめること、だ。

posted by kohey at 20:41| Comment(0) | TrackBack(0) | コミュニケーション | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2007年12月18日

ワーキングプア3

こないだは「ワーキングプア3」がやってました。

「3」までいくということはかなり大変なことである。あれほど毎晩見ていた「トゥナイト」も「トゥナイト2」までだったと記憶している。その意味で言うと「ワーキングプア」は「バックトゥーザフューチャー」あたりと肩を並べるほどのシリーズとなる。

今回はワーキングプア問題を抱える様々な国の現状、施策が紹介されていた。また、前回はヤングホームレスだった男性が、公共機関から清掃業務を請け負う形で働いている姿が紹介された。で、良かったと思う反面、しかし問題は解決出来ていないとも感じた。

整理したいのだけど、この問題は2つの層がある。「ほとんど仕事がなく収入がない貧困層」と「仕事はあるがスキルアップが見込めず、収入が伸びない低所得者層」だ。

で、この男性に関しては「ほとんど仕事がなく収入がない貧困層」から「仕事はあるがスキルアップが見込めず収入が伸びない低所得者層」へステージアップした状態にある。

しかし、ワーキングプアが結構な問題になっているのは「この層からさらにステージアップするのが難しい」からであって、つまり、解決は出来ていない。

もちろん大きな前進であるし、「仕事を通じて、人を信じることが出来るようになった」という言葉は、「働く」ということを単純化しすぎた市場原理主義的になりがちな社会に対する強いメッセージを持っていると思う。

しかし、考えなければいけないのは、そこから先の問題であり、そこにある課題こそが、21世紀における人間の大きな課題になるのだと思う。

こういうとき、自分に出来ることを探す。しかし、「このゲームでいかに勝つか、いかにして少なくとも負けないか?」と言うことばかり考えてしまう。もちろん、それだって重要だけどさ。

本来は、ゲームのルール自体を課題にしていく必要があるのだろうけど。実際、問題意識を持って、色々な形で活躍されている方はたくさんいる。

今の自分に出来るのは、もっと様々なことを知り考えることをやめないこと、なのかなと思う。

ま、まずは自分が楽しむこと、かなと。
posted by kohey at 23:39| Comment(0) | TrackBack(0) | コミュニケーション | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2007年12月14日

「偽」が暴かれる時代

「偽」が表す今年の世相とは@マイコミジャーナル

今年の漢字は「偽」だそうです。

まぁ確かに雪印やらミートホープやら白い恋人やら赤福やら船場吉兆やら…まぁ偽装、改ざん事件がたくさんありましたわな。耐震偽装もあったし、ノバとか、亀田さんとか、確かに「偽」って感じです。

嫌な時代ですねーって、まぁそういってしまえばそれまでなんだけど、よく考えてみると、これって、今年のタイミングで恒常的に行われてきた「偽り」が一斉に「暴かれた」というだけなんじゃないだろうか。

これまでも偽り自体は行われていて、それがたまたま今年たくさん暴かれた。ならば、今年は問題が発覚した年であり、むしろ偽りに対する「正しさ」が見えた年であるとも言えるのではないでしょうか。

インターネットの普及に伴い、内部告発がしやすくなった環境というものもあると思いますし、「なんか裏があるんじゃないか」と怪しむ姿勢が情報リテラシーとして求められる時代ですので、まぁ「不正は暴かれるもの」になったということでしょう。これは、まぁ良いことなのではないでしょうか。

ただ、消費者として考えなければならないこともたくさんあるような気もします。過剰な消費者主権、消費者独裁経済にせず、生産者のことを考えて一緒により良い社会を作っていく必要があるのやも知れません。

ただ、どーもタイミング良すぎるくらいの感じで「偽装」が暴かれたなぁという印象で、これで来年とかに法律が変わったりするんでしょうか。

posted by kohey at 20:10| Comment(0) | TrackBack(0) | コミュニケーション | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2007年12月03日

漫画から考える

漫画にも女性漫画と男性漫画がある。女性漫画が好きな男性もいれば、男性漫画が好きな女性もいる。故に「女性漫画=女性的」という様な単純なモノではない、と断っておくが。

女性漫画と男性漫画には、ある種の違いがある。男性漫画は「ゴール」へ向かって行くストーリーが多いのに対し、女性漫画は、ゴールの存在そのものがあやふやなものも多い。

たとえば恋愛漫画だとすれば、男性漫画は「好きな子と付き合うまで」のストーリーを重視するのに対し、女性漫画は「好きな人と付き合った後」の模様を描こうとする。つまり「ゴール以降」の、日常を描こうとする。

これは、何というか、1つのアナロジーとして考えられる気がする。男性的な感覚は、ゴールへ向かって進んでいく際に非常に有効だが、ゴールのない場所では脆弱であり、対して女性的な感覚は、ゴールのない場所でも自分の物語を紡げるタフネスがある。

たとえば男性的な人は、夢を見ないと日々を生きられない。叶わなくても何でも良いから、意味を持たせるゴールを設定したがる。そうでもしないと無意味性にとりつかれて動けなくなる。

女性的な人は、夢がなくてもタフに生きている人が比較的多い気がする。意味なんかなくても、コミュニケーションを基礎にして楽しく生きることが出来る。

高度経済成長の後、ポストモダンは「近代の終わり」とも言われる。つまり、「終わりのあと」を僕らは生きている、とも捉えることが出来る。

このような「終わりのなさ」に対する脆弱性がきわめて強く出ているのが最近の古谷実の作品だったりするようにも思う。意味の病にとりつかれた自分をいかにして解脱させるか、という。

そう考えると、mixiなどに代表される様な「ゆるい連帯コミュニケーション」は、この時代の必然なのかもしれない。意味を超えるリキッドで強靱なコミュニケーション。

クラバーやらギャルとかギャル男とかって言うのは、ある意味でこーいう時代をしなやかに生きていくセンスがあると言えるのかもしれないとも思う。

俺は、あまりセンスがないなーとも思う。相変わらず「夢を持つ」しかまともに息をする術がないのかもしれない。まぁ、それをコントロール出来るようになった、という意味では少しはセンスがでてきたか。

その意味で、「ボーイズオンザラン」という漫画が好きなのかもしれない。うだつあがらず、筋も通らず。それでもリアルな場所で小さいながらも夢を見て生きていくことの痛みと喜び。とにかく「痛い」漫画なのだけど。それが、「記号的なリアリティ」っていうより「体感的なリアリティ」として受けとれるって言うのは、かなりスゴイことだと思う。

posted by kohey at 19:28| Comment(0) | TrackBack(0) | コミュニケーション | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

カップ入りスープ

電通「07年話題・注目商品ベスト10」任天堂がワン、ツー @Fujisankei Business i

まぁ、任天堂はとにかくスゴイ。それはもうそうでしょうなーってかんじですが、しかし、8位の「カップ入りスープ」というのが意外。前からあった気もしたが。

しかし「カップ入りスープ」という言葉に妙な違和感を覚える。

「カップ入りスープ」と言われると、「スープの中にカップが浮いている」というイメージを受けてしまわないか。「わかめ入りスープ」だったら当然「スープの中にわかめが浮いている」訳だ。だから「カップ入りスープ」だと「スープの中にカップが浮いている」。オッケー、俺は間違えていない。

では「スープ入りカップ」にしてみてはどうか。

「スープ入りカップ」ならば「カップの中にスープが浮いている」イメージだ。確かに日本語としては正しい。おじいちゃんの代まで理解可能な美しい日本語だ。しかし、「いや、俺はスープを買ったのであってカップを買ったのではない」という声も聞こえてきそうだ。そう。「スープ入りカップ」とした場合、どうも「カップ」が主役になってしまう。

では「カップスープ」でいいではないか。いや、「カップスープ」は固有の商品名になってしまう。中立性が問われる。


そうか。じゃあ、カップ入りスープで。

posted by kohey at 16:36| Comment(0) | TrackBack(0) | コミュニケーション | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2007年12月02日

プレイヤーとキャラクター

「キャラクターとしての自分を動かすゲーム」と考えると、人生は割とスムーズに行き始める。それを楽しむことが出来れば。

だけど、だからこそ、時々、「「プレイヤー」としての自分」に直接リーチしてくるモノこそが、尊いと思える。

「ゲームとしての人生」を楽しむうえではおそらく無駄だったり、あるいは害悪ですらあったりするのだろうと、頭で分かっているとしても、それが、プレイヤーとしての自分に響いたら、僕は、それをとても大切に思う。

しょーもないことや、くだらない話が。ダサイ音楽や恥ずかしい歌詞が。そうと分かっていながら、とても、大切だと思える。

posted by kohey at 02:57| Comment(0) | TrackBack(1) | コミュニケーション | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2007年11月28日

それも愛。これも愛。

日経ビジネス特集「時間賢者」を読んだら、「愛のあるマーケティング」を思いだせ!@NBonline

「いかにお金を使ってもらうか?ではなく、いかに時間を使ってもらうか?が重要」という話で、そこまではとっても納得できるんですが、いきなり話が飛んで、「だから愛のあるマーケティングが必要です」という結論になっています。

「うん。まぁ愛は必要だよね。で、愛ってなんですか?」というループになりそうな。心のこもったおもてなしや職人が一生懸命一つ一つ手作りした商品というものが「愛」なんでしょうか。

僕は、そーいう唯一性の高いモノだけが「愛」って訳じゃないような気もする。多様な人がいて、そこには多様な価値観があって、でもその誰もが選ぶことのできる、価値観を押し付けない合理性とか、そーいうものだって、愛があるじゃないかと思う。

僕がユニクロや無印とか、まぁそういうところのモノが好きなのは、価値観を押し付けない「合理性」や「機能性」が重視されているからで、それも愛があるんだと思う。そこには手触りは無いかも知れないけど、思考の跡がある。それも大きな愛じゃないか。わかりやすい「手触りや唯一性」を取り上げて気軽に「愛」と呼ぶのは誤解を招く言い方だなーと思う。

まぁ、どちらかなのかなと。「手触り・唯一性」を重視するか、「合理性・機能性」を重視するか。

あ、これ、今やってること。まさに、だ。

経験豊富なクリエイティブディレクターは「ホスピタリティを表現する情緒が重要だ!」と言う。僕は「ホスピタリティを具現化する機能が重要だ!」と言う。ま、最終的には負けたんだけど。

CMや紙媒体は、その中に具体的な機能は持たない。つまり「見て感じるもの」だ。だけどWebは具体的な機能を持てる。つまり「使って感じるもの」だと僕は思う。だから、トンマナだけの勝負はしたくない。ってかそんなんじゃ誰も使わないでしょ。どんな機能でコミュニケーションをとるか、という観点で考えた方が良いと思うのだけど。しかし経験豊富なクリエイティブディレクターの言葉にはなぜか重みがある。主観的な感覚でしかない意見なのに。おそらく、その感覚には確かな経験の裏づけがあるのだろう。

まぁ、それも二項対立させるのではなく。うまく融合させていく考え方が必要なんだろうな。かなりの部分、同じ事を伝え合っているんだけど、伝わっていないんだよな。そこにある対立を乗り越える考え方があるんだよな、きっと。うん。この思考が愛でなくて、なんであろうか。
posted by kohey at 23:11| Comment(0) | TrackBack(0) | コミュニケーション | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2007年11月27日

意見が違うのではなく、伝わっていない

意見が対立した時は、「意見が違う」というよりも「意見が伝わっていない」ということの方が圧倒的に多い。意見が違うのではなく、上位レイヤー部分の意見が「伝わっていない」のだ。

ほとんどの場合、そうなんじゃないかなと思う。昨日とか。今日とか。明日は、伝わるように。

posted by kohey at 21:07| Comment(0) | TrackBack(0) | コミュニケーション | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2007年11月23日

成長の苦しみ

会社の規模が大きくなっていく中で、「ピラミッド型」というほどでもないが、フラットな組織構造が徐々に縦型に変わってきました。その中でいくつか問題点が出てきています。

1つは、とにかく会議が増えたこと。アウトプットの無い報告会が増加し、恐ろしく時間をロスしています。さっき僕が軽く見積もった感じでは、1週間に100万円以上の工数をかけて会議を行っています。しかし、そのアウトプットは「情報共有」というだけで、そこにおいてなんら知的な生産は行われていません。

2つ目は、内向き体質になっていく傾向にある、ということです。マネージャー層といっても、小規模な会社なので、皆まだまだ若く経験も十分ではありません。その中でマネージメントを行う必要が出てきたので、どうしても「社内のこと」で仕事があふれ、お客様のことを考える時間が少なくなってしまいます。

結果、社内ばかりを見て、お客様に対する価値提供がおろそかになっている印象があります。

この成長の苦しみは、おそらく、多くのIT企業が経験したであろうことだと思います。このままいくと、おそらくお客様への価値提供のクオリティが下がり、人件費などの社内コストばかりがかさみ、規模の縮小を行わざるを得なくなるだろうと思います。

逆にここでシッカリとした仕組みを確立できれば、さらに大きくなっていけると思います。そこで僕がすべきことは、社内における「知的生産の仕組みをシッカリ作る」という事だなーと思っています。

で、とりあえず「会議の質を向上させる」ということをやってます。「すごい会議」を読んだのですが、どちらかというと、「究極の会議」の方がウチの会社にはあってそうだなーと思いました。





posted by kohey at 00:11| Comment(0) | TrackBack(0) | コミュニケーション | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

広告


この広告は60日以上更新がないブログに表示がされております。

以下のいずれかの方法で非表示にすることが可能です。

・記事の投稿、編集をおこなう
・マイブログの【設定】 > 【広告設定】 より、「60日間更新が無い場合」 の 「広告を表示しない」にチェックを入れて保存する。


×

この広告は1年以上新しい記事の投稿がないブログに表示されております。