2006年06月23日

Some right blues

1−4。

ジーコジャパン。その4年間は、今日、王者ブラジルを相手に幕を閉じた。

それが何であったのか。大概の事は後になってみなければ分からない。

4年前、ジーコの代表監督就任によって日本サッカーはトルシエのシステマチックなサッカーから解放された。

才能ある選手が、自由に、楽しく、創造的にプレーするチーム。まるで、ブラジルの様に。そのチームの中心にジーコはトルシエによって日本代表を外されていた中村俊輔を選んだ。封印されていた天才レフティーが、いよいよ日本の10番をつける。日本中がその活躍を期待した。そして、日本の10番はその期待に応え続けた。

ジーコジャパンの4年。それは、中村俊輔の4年でもあった。ジーコのチーム構想の中心にはいつも中村がいた。中村の左足が、ジーコジャパン最大の武器だった。

2006年Wカップ、日本は1勝も出来ずドイツを後にする。

不甲斐ないFWを責める声、監督の采配を責める声。当然の批判だろう。

しかし、お忘れではないか?元々日本代表のFWには得点力などない。そして4年前から、ジーコにヒディングの様な選手の個性に合わせた戦略を練る能力などない。そんな事は既に分かっていた事だ。

日本最大の武器は、中村だった。中村の左足だった。それを活かすフォーメーション、それを活かすメンバーをジーコは採用し続けた。

その、中村が絶不調だった。中村もわかっていた。ジーコも分かっていたはず。しかし、4年間かけて作り上げてきたのは、「中村を中心にしたチーム」だった。だから最後になって「中村が中心にいないチーム」を作る事は出来なかった。例え調子が悪くても、小野に変える事が出来なかった。

中村のプレーが精彩を欠く事で、全てのプレーに影響が出た。いつもなら通るパスが通らない。いつもなら走り込む所を、走れない。カットされてカウンターを受ける。

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posted by kohey at 11:27| Comment(0) | TrackBack(0) | コラム | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

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