2006年08月02日

環境のデザイン

人生とは、締め切りの連続である。

いくつもの締め切りを超えた後、
我々の生もまた、締め切られる。

私は大変に怠け者で、
本当に、高校生の頃から
課題だの宿題だのを、
まともにやった事がなかった。

で、今、通信制の大学へ行っているのだが、
これが、レポートとか、全部出してやがる。

出来ちゃってる。
いや、結構ハードだったのだが、実際。
しかし、出来ちゃった。

何故、俺の様な限りなくニートに近いブルーが
仕事をしながら勉強し、全てのレポートを締め切りに間に合わせられたのか。

鉄の意思?

いや、違う。

「環境」をデザインしたのである。

資料を集めきったら、
ノートPCを持って喫茶店へ。

私のノートPCは若干古いので、
バッテリーは2時間弱しか持たない。

つまり、タイムリミットは2時間、という訳だ。

するとどうだ。
家ではダラダラと集中力を欠いた私が、
あっという間に集中しているではないか。

このような「人工的背水の陣作戦」を決行し、
私は見事にレポートを間に合わせたのである。


人間の意思などというものは
全くアテにならない、というのが私の持論である。

だから、自分の意志なんてものも信じていない。
私の言う事、思う事など、コロコロ変わる。

下り100MBの情報渦巻く現代において、
多くの人が周りに流されているのであろう。

しかし、私はその事を憂いたい訳ではない。
むしろ、流れろ、と言いたい。
人は、水の様に、流れる生き物なのである。

多くの人は、本来の人間はまるで石の様に、
ブレずに、ずっしりしているものだと思っている。

しかし、この考えには無理がある。
時間、空気、あらゆるものは流れている。
人間だけが流れない訳がないじゃないか。

「考え方次第で素敵な自分に生まれ変われる!」的な本が
大変に多い昨今、まぁそれも確かに一理あるのだろうが、
しかし、自分で自分を変えようなどと思うべきではない。
自分は、あらゆる場面で、
自分以外の自分を取り巻く環境によってアフォードされている。

環境を素敵にデザインする事で、
その環境が、自分を素敵にアフォードしてくれるのである。

だからこそ、まず、行動が必要だ。
動く事で景色は変わり、
それによって新たにアフォードされる感情や行動が生まれる。


引きこもっている人たちも、
うさんくさいプラス思考はいらないし、
自分を変えようだとかそんな必要は無い。

エアコンを止めて、窓をあけて、
風を入れて、光を受けて、
多分、それだけでいい。

己が記号的なモノたちにアフォードされまくって
生きている事に気づけないヒトは多い様で、
そういうヒトは、まるで自分も記号みたいになってるもんで、
私にはどうしても、少しヘンな形に、見えてしまう。


どんな欲望を持つのか、によって、
快楽もまた決まるのだという。

なにやら歪な欲望が、
あらゆる場所でアフォードされているのだろう。



posted by kohey at 04:36| Comment(0) | TrackBack(0) | 大学 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2006年05月31日

レポート:憲法

以下のような考え方が主張されている。それに対し、日本国憲法の構図と理念を踏まえた上で、自らの立場から論評せよ。

 「現代福祉国家にあっては、複雑多岐にわたる事務を効率的に処理することが国家に求められている。そのためには、国家活動の中で行政機関が主要な任務を負わざるを得ない。そしてその場合にも、各省庁の妥協によって問題を解決するのではなく、首相が強い指導力を発揮できる体制を作ることにより、責任ある国家運営が進められることが望ましい。従って、行政府と立法府の関係については、この行政権の優位という観点から見直す必要があると同時に、行政府内部においても、首相が強いリーダーシップを展開できるような制度的枠組の構築が必要とされている」


 結論から言うと私はこの考え方に「半分賛成、半分反対」である。まず、内閣総理大臣に対して強い権限を与える事は賛成である。国内、国外の多岐にわたる複雑な問題に対処するには内閣が各省庁の専門家をフル活用し、迅速な判断を首相自らが責任を持って行えるトップダウン方式の体制が必要である。しかしここで重要な事は、行政権は内閣に属するのであり、官僚機構に属する訳ではないと言う事である。行政と言うとき、「内閣」と「官庁」とを明確に分けるべきである。
 問題が複雑化する現代日本においては、政策立案また立法においても国会だけでは十分に対応できない。その為、専門の知識や技術を持った官僚機構の力を借りる事となり、その結果、官僚の力を大きくしてしまった。
 「内閣」に対して強い権限を与える事は賛成だが、しかし「官僚」に対して権限を与える事はしてはならない。なぜなら官僚は選挙によって選ばれた「国民の代表」ではないからである。国家活動における重要な決定が、官僚の意思によって左右される様な事はあってはならない。その為にも各大臣が官僚機構の利益を代弁する様な形にならず、あくまで内閣総理大臣に任命された閣僚として官僚機構を指揮すると言う形であるべきである。この様な理由から、内閣総理大臣には閣僚をまとめあげる為にも強い権限とリーダーシップが必要なのである。
 しかし、これはあくあまで「行政」においての話である。
続きを読む
posted by kohey at 03:37| Comment(0) | TrackBack(0) | 大学 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2006年05月25日

レポート:日本的経営について

■日本的経営の特質 
 日本的経営の主な特徴は「長期雇用」である。日本の高度経済成長における大きな要因、「企業への帰属意識・忠誠心」、「人材育成」、「雇用の安定」、「企業の独自技術」は、この長期雇用によって生まれたものであった。では、どのようにしてこの長期雇用を成り立たせていたのであろうか。
 基本的にどこの国においても勤労年数が増えれば賃金も上がるが、日本の場合はその傾向が特に顕著であった。日本では、10年以上勤めてから賃金カーブが急上昇するのである。また、管理職、会社役員などに登用されるのは60%以上が「生え抜き」の従業員であり、出世と言う観点からも「長く会社に在籍する事」が得策とされていた。転職者側から見ると、新卒勤労者との賃金格差は高く、また出世もしづらいと言う環境であった。この様な状況で、例え職場に不満があっても、そこで辞める事は得策ではなかった。
 この様な、勤続年数や年齢に応じて役職や賃金が上昇していく人事制度は年功序列と言われ、「悪平等となりやすい」「迅速な雇用調整が困難」「従業員の年齢構成が高齢化」「給与水準の引き下げが困難」と言った批判をしばしば受けてきた。しかし、それらのデメリットをカバーする為、実際の年功制は「勤続年数」+「上長による評価」によって決められている。入社10年目以降の昇進競争は悪平等どころか非常に過酷であり、20年後、次長職まで昇進できる確率はわずか3%程度であった。
続きを読む
posted by kohey at 03:11| Comment(0) | TrackBack(0) | 大学 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2006年04月26日

職業社会学レポート004 キャリア教育について

うーん、早速レポートとか沢山でてきたなー。短いヤツはいーんだけども、長いのはねー。
ま、書くの好きだからいーんだけどさ。

んで、せっかくブログあるんだから、レポートとかものせようと思うんだわ。もし、読んでくれて、なんか間違いとか文句とか賛美とかあったら厳しく、しかし優しさを忘れずに、時には抱きしめる様に教えてくれると、嬉しい。
なにしろ勉強中な身なもんで。レポートがなんたるかもよくわかってないと言う。
しかも給付の奨学金とるために成績よくないとマズいから。
子育てクイズもっとマイエンゲジェル的なノリでお願いしたい。

■職業社会学
キャリア教育について

続きを読む
posted by kohey at 03:56| Comment(0) | TrackBack(1) | 大学 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2006年04月04日

また新しい日々

世はすっかり春でして、今日なんか新入社員の方々の姿を結構見かけましたね。
新入社員。新入生。
「フレッシュ」というのはそれだけで十分に価値がある。

ウチのアパートにも学生さんらしき人が引っ越してきていた。
お父さん(らしき人)が荷物運びを手伝っていて、そこへちょうど帰ってきたのでドアを開けたりして少しだけ手伝った。
優しそうな、アイフルのCMに出てきそうなおじさんであった。
今頃、娘がいなくなった家で寂しい想いを肴に涙で割った焼酎を飲んでいるのだろう。

そういう姿を思い描き、自分が上京した頃の事を想い出したのだった。

続きを読む
posted by kohey at 02:11| Comment(0) | TrackBack(0) | 大学 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

広告


この広告は60日以上更新がないブログに表示がされております。

以下のいずれかの方法で非表示にすることが可能です。

・記事の投稿、編集をおこなう
・マイブログの【設定】 > 【広告設定】 より、「60日間更新が無い場合」 の 「広告を表示しない」にチェックを入れて保存する。


×

この広告は1年以上新しい記事の投稿がないブログに表示されております。