2008年07月24日

共感の話

「生活者に共感してもらう施策」とかって言ってる時点でもうダメなんだな。ユーザに、共感して、市場を見てみた時どう見えるか。

どっかの誰かの話だけど、すごくなるほどなと思ったのは、ドコモとソフトバンクの話。

ドコモのCMは「手のひらに明日をのせて」とか言って、携帯電話が家族や友人や恋人との重要な会話、つながりをもたらすみたいな物語があるけど、実際そのような重要な会話は1%もされておらず、ほとんどの通話はどーでもっちゃどーでもいい内容のものだ。コミュニケーションのコストが下がったことで、1つ1つのコミュニケーションにおける濃密さも失われたからだ。

実際、多くの人がそのことは意識せよ無意識にせよ、そのような感覚に気づいている。だから、一見生活者に共感しているようでいて、実はしていない。あくまでサプライサイドから見た「コミュニケーションのあるべき姿」に共感してくれ!と言ってるに過ぎない。

そこへきてソフトバンクのCMの意味不明さは、ある種対照的だ。よくわからない家族のよく分からない日常。明らかにディスコミュニケーションでありながら、なんとなく分かり合ってんだか、ないんだか。

ただ、肌感覚で思う携帯電話のコミュニケーションの温度ってこっちの方が近いかもしれない。携帯のコミュニケーションに対して余計な意味や価値を付与しない。こちらの方は、生活者サイドから見た「コミュニケーションのいまある姿」に共感しているのだと思う。

CMの好き嫌いは色々あれど、少なくとも、ドコモは確実にハズしてる気がする。
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2008年07月23日

みたことある景色

20080723013351.jpg

何でもない景色が急に美しく感じたりすることがあるけども、それはやはり自分の心を映しているんでしょうか。

見たことのない景色は見たことのない自分の心を映してくれたりするけど、見たことのある景色だって心が動けば違った様にみえるのだろうし。

まぁなんにせよ頭がいたいわ。
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2008年07月12日

トラブルは楽しい

トラブル発生。なんとか鎮火。

そりゃトラブルなんて無いにこしたことはないが、そんなことは言ってられない。トラブルが無いということは、新しいことをしていないということでしかない、かもしれない。

色々あれど、トラブルを乗り越えるごとに、冷静に対処できるようになってきている。急がば回れ。冷静、かつスピーディに。

こういう時は、論理が優先されるのが良い。事態の打開、収束、原因の究明、改善策。いやがおうにも集中する。しかも、やけにチームワークが良くなる。こういう時、頭がとても働いている気がする。だから、結構楽しい。
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2008年07月08日

良い利益

良い利益革命 第1回「良い利益と悪い利益」

非常に面白い記事だったので書き留めておく。

世の中には良い利益と悪い利益がある。

良い利益は顧客が満足して支払ってくれるモノ。顧客が不満に思いながら支払っているのが悪い利益。

悪い利益。例えば囲い込みによる顧客の不利益。旅館で買うビール:500円とか。悪い利益は企業の成長戦略に影を落とすという。それは、継続性が無く、いずれ落ちていく利益だから。

対して良い利益は成長戦略において相関を持つハズの重要な要素。しかし、指標としての顧客満足度と企業の利益はなかなか相関しない。

例えばレストランに行く。アンケートに答える。

「本日のサービスはいかがでしたか?」

1:満足
2:やや満足
3:どちらでもない
4:やや不満
5:不満


おそらくだが、よっぽど不満がない限り、一般的な人は1か2、せいぜい3を選ぶ。しかし、1を選んだ人がまたこの店にくるだろうか。ここでの「1:満足」は「不満ではない」という消極的満足にすぎない。よって「1」を選んだ人が皆、この店にもう一度来ようと思うほどの満足したとは考えにくい。

よって、この指標による顧客満足度と利益は相関しない。では顧客満足など必要無いかと言えばそうではない。右肩上がりの経済成長は終わり、成熟している。国内の消費は伸びない。グローバル競争。その中で、一度接点を持った顧客へのロイヤリティを高め、いかにリピートや他者へのリコメンドを促すかがこれまで以上に重要になってくる。

そこで考えられたのが、NPSという顧客ロイヤルティを図る指標とのこと。質問はシンプル。

「貴方が弊社を親友の方に推薦していただける可能性はどのぐらいありますか?」

この質問に対して顧客に0から10までの11段階で評価してもらう。
ここから導き出される顧客満足度は、企業利益と強い相関を示すという。

この質問には「期待値以上の満足があったか」が問われることになる。期待値以上の満足がなければそれは「不満ではない」というだけ。リピートやリコメンドは生まれない。期待値以上の満足があるからこそ、利益が拡大する。顧客が満足して支払う良い利益の拡大は成長を意味する。

非常にうまく作られた指標だなーと。勉強になる。ネットでもバズビリティとか言って、いかにブログとかに情報伝播をさせるか?という考え方を持ったプロモーションは非常に多くあるけど、それが利益に結びつかなきゃ意味がない。

「認知」という意味ではブログなんかに書かれれば一定のインプレッションがあるわけだが、その意味で言うとかなり線が細い。それ単体では埋もれる。媒体と組み合わせてやるならまぁなしじゃないだろうが、それは結局、手段の目的化でしかない。

購入者、体験者に期待値以上の満足を与え、そこから利益を拡大していく。リコメンドをしやすい環境を提供する。情報発信時代に最も重要なことはそこなんだろうと思う。

シンプルだけに、当然一番難しい。

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2008年07月03日

重要なのは、姿勢。

何を言うか?は大して重要じゃない。なぜ、そう言うか?という裏にある姿勢にこそ、人は反応する。

売りたいと思って語る言葉は、そのような姿勢があるから結果売れない。お客さんの問題を解決したい、満足を得たいと思って語る言葉には、そのような姿勢があるから、売れる。単純だけど、本当だ。一般的に僕らはそのようなコミュニケーションリテラシーを持っている。

何を言うかじゃない。なぜそういうか、だ。それを、その姿勢を表出させることこそ、コミュニケーションにおいて重要だ。

言葉は軽く、相対化される。心は1つで、相対化され得ない。「なぜ?」がない言葉は、空虚で軽い。しかし同時に、恐ろしく重い。

軽い言葉は、社会との接点を失って、表現されない心を内包している。
それは誰にも届かないくらい軽く、それ故恐ろしく重い。
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2008年07月02日

語ることそれ自体がメッセージな時、どうすべきなのか

秋葉原の事件について、色々と考えを巡らせていた。
ただ、何を言えばいいのか、分からなかった。

いや、本能的にこの事件について何かを語ることがはばかられた。

様々なところで様々なことが語られている。しかし事件について「語る」という行為そのものが何かに絡め取られていく。

この事件は様々な切り取られ方がされる。

「秋葉原」「オタク」「格差」「負け組」「非モテ」「ネット」「派遣労働」…

犯行の裏には様々な社会的な背景があると見られる。そのどれもがおそらく同じくらい「正しい」。いや、そもそも「正しい」という価値判断基準すらない。全てパラレルに存在し、どれもが別の問題をそれぞれに語っている。正しさを競うこともない。

派遣労働だから人を殺すわけではない。負け組だから殺すわけではない。もてないから殺すわけでもない。オタクだからでも、ネットがあるからでも、ない。

結局、この犯人の超個人的な、実存の問題でしかない。

背景に社会の問題はあるかもしれない。しかし「この犯罪について社会的に語ること」それ自体が1つの姿勢として、メッセージを発してしまう。「どんなことを語るか?」は問題にならない。語られる言葉の正しさなんて、価値判断にはならない。

「語られている」という状況それ自体が社会的なメッセージを持ち、様々な形で力を生み出す。それはある意味ではこの犯罪を補完する。犯人の実存に対する欲求を、ある意味で満たす。どんな社会問題も、犯人の幼稚な実存問題に絡め取られる。

しかし、こうやって、「語られること」を語ることも、また1つのメッセージになるんだろうか。だとしたら、もう、何も語ることは出来ないんだろうか。

おそらく、この事件について、第三者的に、社会的に語ることは出来ないんじゃないかと思う。だから、犯人の、抱えていた実存的な問題を、個人的に、想像する。そーいうヤツが、自分の、隣にいたかもしれないと思う。メタじゃなく、同じ地平で。

結局、「何言ってんだよ、おまえ。飲み行くか」って言ってくれる、
友達がいたら、こんな事件は、起きなかったんじゃないかと思う。

いろんな問題を誰もが抱えてる。たまには暴れたくなることだって、ある。俺だって、新宿の人混みでカメハメハを打ちたいと思ったことは、10回以上、ある。

ただ、認めてくれる、認められる、友達がいなかったことで、犯罪を抑制できなかっただけじゃないか。ただ、実存の問題だろう。だからこそ、俺に、友達がいなかったらと思うと、苦しいだろうなと思う。

やっぱり、うまく言えないな。共感なんか出来ない。しかし、犯人の、ネットの書き込みを見て、そのような、1つ1つの書き込みに、立体的な人の孤独があることを想像すると、苦しくなる。

書き込まれるテキストデータのどーしよーもない軽さが、その裏にある実存を、また、重くさせるような、感じ。

ネットでのコミュニケーションに携わる、自分の仕事についても、考えるべきことがある気がした。
posted by kohey at 23:09| Comment(0) | TrackBack(0) | 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

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